はじまりのまえ


 赤崎はざわざわと賑やかな店内で取り残されたように、座っていた。
 この店を選んだ当の本人は、席に案内されるなりメニューも見ずに注文を済ませると、さっき手洗いに立ってしまった。
「お前、鍋とか食べる?」
 という丹波の唐突で他愛のない質問に、食べますけど?と赤崎がしごく当たり前の返事を返したのは、練習明けすぐのフィッティングルームでのことで、それから1時間もしないうちに気づいたらここにいたのだ。赤崎が連れてこられた先は自分だったらきっと見つけられないような路地の奥の店で、外観はさして目立たないのに中はすごくにぎわっている。地元民の自分がそんな感想を抱くのも妙な話だが俗にいう下町情緒あふれる感じの店だ。
 目の前でぐつぐつ煮えている鍋をみながら、赤崎は何かの集まりならともかく同じチームの先輩にこうやって飯に連れて来てもらうのははじめてだなと思った。そう思うと何だか少しくすぐったい。
「もう出来てそうだな」
 のんきな声と一緒に当の「先輩」が戻って来る。向かい合わせの席に座ると、それにしてもでかいな二人鍋はさすがに無謀だったかも、いやでもせっかくのチャンスだしなんて言ってる。もつ鍋を食べたこともない赤崎にはそれがもう煮えてるのかどうかは分からない。本当は慣れた人間がやるにこしたことはないと思うのだが、まさかだからといって目上の人間にやらせるわけにいかないので赤崎はおたまを手にとって適当にすくい始める。その間に、丹波が通りかかった店員に唐揚げなんかを追加で頼んでいる。
「ここ、よく来るんスか?」
 さっきのメニューのこととをいい、十中八九なじみだろうと見当はついていたが他に話題もみつからなくて、赤崎は尋ねる。
「前はな」
 半拍間をあけて、それから付け足す。
「堺が好きなんだよ。体に良さそうだろ」
「なんで堺さんが好きだと体に良いんスか」
 赤崎は堺の名前が出たことに首を傾げる。仲がいいのは何となくはたから見ていてわかるが、堺は怪我知らずというわけでも、フィジカル自慢なタイプでもないので、それが体に良さそうだという言葉の根拠には思えない。
「健康オタクだから、あいつ」
「へえ」
「ここの唐揚げ、来るたび狙ってたんだけど、あいついると怖いから」
 楽しそうに言う丹波の顔をみて、赤崎はさっきまであった気持ちが冷えるのを感じる。
 それでかわりに自分を連れて来たのかとか。
 最後にした練習メニューがポジションごとで、自分とあがりの時間が一緒だったからだろうなとか思ったら何か。
「もつ鍋、嫌いだったか?」
 むっとした赤崎の顔を伺うように丹波が尋ねた。
 湯気が視界に広がっているせいもあってかそれがやっぱり何かくすぐったくて、悔しい。
「別に」
 短く答えたあと、間がもたなくて口に入れたもつは存外おいしかった。
「な、驚くだろ」
 得意げな顔をする丹波に赤崎は素直に頷いた。
 どちらかというとその表情と鍋を囲んでいるシチェーションの方に驚いている気がしたけれども。

 

丹←ザキ風。丹さんは普通に後輩を飯に誘っただけかと。