ひまわりだってたまにはお休み


 昌洙は部屋でぼんやりしている。
 何となく、何もする気が起きない。
 こんなこと国にいた時はほとんどなかったが、日本にきてから、ときどきある。
 だからといって日本にいることが辛いわけではない。
 辛くないというか楽しい。
 チームは勢いがあるし、監督は今までの指導者の中で一番好きだし、チームメイトもみんな優しくしてくれる。サポーターも日本語が読めない昌洙のためにハングルのフラッグを作って歓迎してくれた。大好きな人達。大好きなサッカー。
 それなのに唐突に泣きたい時があって、昌洙はそれにとまどってしまう。
 昌洙がそういう気分になるのは、自分の言いたい事が伝わらない時のもどかしさや、自分以外が楽しそうに笑っている何を言っているのかわからないテレビ番組を見ている時だとか、知らない文字の踊るスーパーマーケットの棚に囲まれて取り残された気分になった時ではない。そういう時はかえって気持ちをしっかり持って、笑顔もだせる。
 それはどちらかというと楽しい時間の後にやってくる。そいつがおそってくるのは寮でみんなで騒いだあとに戻ったひとりの部屋だったし、チームメイトとの携帯メールのやりとりの中で返信を待つわずかな空白だったし、ミーティングだけしかない日の出かける前のちょっとした隙間の空の色だったりした。
 何か明確な理由があるわけではない。
 嫌な思いをしたわけでもなく、悔しいのでもない。だから実際に涙が出てくるわけではないのだが、どうしてかそういう時に泣きたいと思う。
 具体的に何かを思い出しているわけではないのだが、きっとこれを望郷というのだろう。
 涙はでない。
 出ないけれど、ならばこれはどこにたまっているのだろう?
「カナシイ、ナイヨ」
 ここには他に誰もいない。
 相手に伝えるためではないので日本語を使う必要もないのだが、この短い間にすっかり日本語で話すことになれてしまって、こんな独り言の時でまで口をつく。
「ナイヨ」
 携帯が手のなかで振動する。
 多分、手当たり次第にメールしたうちの誰かだろう。
 もしかしたらハチヤかもしれない。
 少しだけ顔をあげて、それから、はぁとため息をつくと、昌洙はまた携帯を握って頭をたれた。
 メールがきているのは嬉しい。
 でもなぜかまだそれを開いて読む気にはなれなかった。
 振動が止んだモニターには、「新着メールあり」の文字。昌洙には読めないが、チームの誰かが教えてくれた言葉だ。日本にきて一番見ているかもしれない文字で、もう頭に絵として入ってしまった。
 メールがきていて、開く前のメールを持っている気分でいたくて、操作ボタンをおさないように気をつけながら強めにまたギュっと携帯をにぎる。
 日本語では何ていったらいいんだろう、こういうの。
 でもさすがに、誰にもきけないなと思って昌洙は目を閉じた。

 

言いたかった言葉は、寂しい。