好きじゃないよお前のことなんか。


 好きじゃない、お前のことなんか。
 汗をかいたグラスが置き去りにされたままの部屋で堺はひとりごちた。

 つい先刻まで、世良が部屋に遊びにきていた。
 浮かれた外見と堅い性格の両方のイメージに相応しく、堺の部屋は適度に洒落た家具やら小物やらを几帳面に配置した部屋は堺と同期の丹波曰く堺すぎて笑える代物で、初めて招いた世良はやっぱり同じように堺さんって感じとわめきたおしてキョロキョロと部屋を見渡していた。
「そこ座ってろ」
「ッス」
 テレビの前のソファを顎で示して堺はキッチンに向かう。向かうといっても対面式のオープンキッチンなので世良を通したリビングは普通に見渡せる。体育界系独特の言葉になっていない返事を返してのそのそとソファに向かった世良は、大人しく座ったまではいいが、そこからまた落ち着き無くキョロキョロを部屋をみている。目線が定まったかと思うと、今度はテレビ台の脇を凝視している。
「うるさい」
 チッと舌打ちして、グラスを置きがてらあからさまに落ち着きのない世良を睨んだ。
 世良は受け取りながら口の中であざっスと礼を返す。
 軽いようできちんと返事がなっているところは堺が世良の中で気に入っている数少ないところの内ひとつだ。
「俺まだ何もいってないっスよ!」
「目線がうるさい」
「ひどいッス!」
 軽い応酬。
 そんなものはいつもと少しも変わらないが、本当はこんなやりとりをするほど世良とは親しくない。石神や丹波のように後輩と積極的に交流を持っていくタイプではないのだ、自分は。同じポジションでも夏木とならば話もするが、世良に関してはそういえば監督が変わるまでほとんど挨拶以外のことを話した記憶がない。それがどういうわけか今、部屋にあげるのは自分でも理由がわからない。
 本当は。
「・・・何スかこれ」
 グラスの中身に口をつけた世良が不思議な顔をして聞いてきた。
「ルイボス茶」
 お前にはあんまり関係ないけど、他に今、冷えてるもんないからと付け足した。世良が何が関係ないのかうるさいのが、とりあえず放っておくことにする。どうせ説明したところで覚えられないし、世良だって本当のところはそんなことに興味はないだろう。
 どうせなら嫌がらせにDrペッパーでも仕込んでおけばよかったと思って、思い立った自分にまた内心で舌打ちする。
「堺さん」
 世良は何か言いかけて常にうるさいくせに、らしくもなく口の中で何かをもごもごとしてやめた。
「観たいって言ってたの、どれだよ」
 テレビを付けてHDDレコーダーを起動させながら、堺は問いかける。そもそも世良が堺の家にきたのはスカパーのサッカーチャンネルに堺が加入していて欧州サッカーのめぼしい試合をHDDリコーダーに録画していて、それをHDDに溜めっぱなしにしているからだ。世良の観たがっていた試合を録画していたのを口を滑らせたばかりに、見せてくださいの言葉にHDD内だから家に来ないと観れないと返したばっかりに、またそれに世良がじゃあ行きますなんて言ったばかりにそれを丹波に聞かれて引っ込みがつかなくなったばかりに今こんなことになっているので、自分の問いはしごく当然のものだ、と堺は思った。
 それなのに世良は質問の意図を探すように目をくりくりと動かすと、やっと思い当たったようにあぁと声を出した。
「先々週の、バルサの」
 ああ、あれは確かにいい試合だったなと思い返しながら堺はリモコンを繰る。
 ふいに目が合った。
 リモコンを持つ手に世良の手が触れる。
 なんだよと聞き返す前に、キスされた。
 正確にはキスだったような気がする。
 何しろそれは一瞬で触れた途端に離れたので、堺には確認するすべがない。
「てめ、何しやがる」
「本当はいいわけなんです」
 それを言うなら、口実だ。堺さんの部屋にきてみたかったと世良は言って、それから誤解のしようもないくらいに切羽詰まった目で俺を睨んだ。顔は真っ赤で口は引き結んでいるのか緩んでいるのかわからない、なんともいえない形に歪んでいる。何ていうんだ、こういうの。ああ、泣くのを我慢しているみたいな。
「あざーッした!」
 何がだと言う間もなく世良は起ち上がって、すごい勢いで玄関を飛び出していった。正しくはありがとうじゃなくてごめんなさいだし、泣かれる理由もない。いきなり飛び出していきたくなるのはどちらかといえば自分の方じゃないのか。
 いきなりの変化が分からず、堺は何をみるでもなく呆然とテレビの方をみた。
 そういえば世良の視線が一度、あのあたりで止まったように思ったからだ。
 テレビ台の隅。
 視線の先にはいかにも女物の華奢なオープンハートのピアス。
 ああ、これかと、思い至って、思い至ったことに眉をしかめる。
 普通に考えたら、同性の後輩がいきなり飛び出していったのを、ああこれかじゃないだろう。
 それでも他に理由は考えられなかった。
 残念ながら堺には確信があった。
 練習中も移動中も構わずに自分を追いかけて来る目線に、気づいてなかったわけじゃない。いつも世良はうっかりものだが、それにしたって誰の持ち物だかも確認せずに早合点して泣きそうな顔で飛び出していった意味は間違いようがない。
 後輩が観たい試合の録画を自分が持っていたって別に親しくもなければ挨拶程度の後輩のそんなささやかな希望までなんとかしてやる必要はない、HDD内のデータなんてDVDに焼けば持ち運べるし、そんなことしなくても寮に一人くらいは持っている奴だっているだろうし、丹波に聞かれたって放っておけば良い。なのにお前を呼んだ意味を説明してやるほどには。
 掃除中に偶然みつけたピアスはすっかり埃を被っていて昔付き合っていた女の持ち物だろうと思われる。それをテレビ脇に置いておいたのは、今が連絡のつけようもない持ち主に返すためじゃなく不燃ゴミに捨てるために避けておいてうっかり忘れてたからだ。そんな言い訳をしてやるほどは。
 まだ。
 好きじゃない、お前のことなんか。

 

両片思い。世良、もうひと押しだ!